■島耕作シリーズとは 作者は弘兼憲史。『モーニング』(講談社)に、1983年「課長島耕作」が、スタートし、今も連載中の人気漫画。 1980年代前半の日本経済低成長期(安定成長期)から同年代後半のバブル景気期を経て1990年代初期の失われた20年前夜に至るまでの日本経済の動向、大企業間の競争、大企業内部の派閥争い、経済活動の末端で働くサラリーマン、特に団塊の世代の群像の様々をリアルに描く。 |
■作者:弘兼憲史 読み仮名は、ひろかねけんし 1947年山口県岩国市生まれ。 早稲田大学卒業。 松下電器産業に勤務の後、1974年漫画家デビュー。 2007年には紫綬褒章を受章している、凄い漫画家。 |
■弘兼憲史の作品紹介 『人間交差点』(原作:矢島正雄)で第30回小学館漫画賞 『課長 島耕作』で第15回講談社漫画賞 『黄昏流星群』で、2000年文化庁メディア芸術祭優秀賞と2003年漫画家協会賞大賞を受賞。 『ハロー張りネズミ』や、 『ラストニュース』も、面白い。 私個人としては、難しすぎて、オススメできない漫画だが、『加治隆介の議』という、政治家の漫画もある。 |
■島耕作:プロフィール 生年月日:1947年9月9日 山口県岩国市出身 早稲田大学法学部 特技:英語 趣味:仕事 |
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学生島耕作 作品内の年代 1968年(昭和43年頃) 島の早稲田大学での大学生時代を描く。 課長島耕作を読んだ後に、この作品を読むと、矛盾点が多々あるような… | |
ヤング島耕作 作品内の年代 1970年(昭和45年頃) 島耕作が初芝電器産業へ入社した当時(1970年頃)の社会情勢、世間の気風、大企業の雰囲気などを描いている。 | |
ヤング島耕作 主任編 作品内の年代 1976年(昭和51年頃) 若き島が初めての昇進を果たした主任時代のエピソードである。初めての部下を持ち、責任とやりがいの狭間で奮闘するヤング島。一方では結婚をし、家庭を持ち、仕事との両立にも邁進する等身大の島。 | |
係長島耕作 作品内の年代 1980年(昭和55年頃) ステップアップの道を辿り島は、平社員から主任へ、そして係長へと至った。最終話で課長に昇進し、課長島耕作へと続く。 | |
課長島耕作 作品内の年代 1983年(昭和58年頃) 島耕作シリーズは、この作品から始まった。1983年、「モーニング」に連載。 まさか、30年以上も、この作品が続くとは思わなかった… 私自身(このサイトの主)も、当時は、読者として島耕作を読んでいた。 その当時、自分が、島耕作の漫画をネット販売する事になるとは思っていなかった(笑) | |
部長島耕作 作品内の年代 1992年(平成4年頃) 島は関連会社・初芝電産貿易へ代表取締役専務としての出向を命じられる。 ワインを売ったり、レコード会社に属したり、島耕作の才能に驚く事になる。 本当に、そんな事ができる人が居るのか… ともあれ、それまでの功績を認められて初芝本社の取締役へ就任する事になる。 | |
取締役島耕作 作品内の年代 2002年(平成14年頃) 初芝電器産業の取締役となった島は上海初芝電産董事長(会長)と本社上海担当役員の兼務で東京と上海を往来、それを通して急成長する中国経済が描かれることとなる。 | |
常務島耕作 作品内の年代 2005年(平成17年頃) 取締役時代に続いて、中国担当としての活躍が描かれているが、担当エリアが上海のみから中国全土となり、東京・北京・上海の3極勤務となり多忙を極める。 2006年、中国担当常務の前任である郡山利郎専務が社長に昇格したことにより、島も専務に昇格することになる。 | |
専務島耕作 作品内の年代 2006年(平成18年頃) 常務時代に続いて中国を担当するほか、インド担当、アメリカ担当も兼任することになった。 2008年4月、現社長である郡山利郎が辞意を表明し、その後任として五洋電機との経営統合で誕生する「初芝・五洋ホールディングス」の初代社長に就任する。 | |
社長島耕作 作品内の年代 2008年(平成20年頃) 2008年の連載開始当初は、この作品が島耕作シリーズの最終章の予定だった。65歳となった島耕作は、世界を舞台に新たな道を切り拓き続けて行く。 | |
会長島耕作 作品内の年代 2014年(平成26年頃) 社長を退任し会長となった島が、経営者としての一線を画して環境問題、食糧問題など財界人としての視点で日本経済を俯瞰するという内容で描かれている。前作までと異なり政治家や財界人との関わりに重きが置かれており、テコットの社長となった国分を後方支援するという立ち位置に変わっている。 次は、「総理島耕作」が出るのだろうか…。いつまで続くのだろうか…。もう目指している処が、わからない…。 |